はこ。


届けたいひとがいて
届いたちいさな箱。


そのちいさな箱を
もってうまれてきた。


あのひとも
このひとも
そのひとも


ふたりがわたしたはずの
ちいさな箱は
ひとのいきているあいだに
いろがふえ
かぜがふえ
おとがふえ
ひかりがふえ


にぎやかな
箱となって
そのひとの
くらしを
豊かにしてゆく。



でも
どんなに賑やかな
愉快な
箱になっても


だれかに手渡すときに
届けたいひとに
届けるときには


そのなかに
入っているものは


とても
とても
しずかな
きもち


ひとつだけ。



うまれてきてくれて


ありがとう


という


ほんとうに
ほんとうに


しずかな


ひとつの
きもちだけ。



さるすべり。

さるすべりがよんでいる。


あちらこちらで
蝉といっしょになって
よんでいる。


わたしはのぼれもせずに
つるつる つるつる と
めのはしでとらえては
ざんぞうをたよりに
はんすうする。



さるすべりをとらえると
それはきついなんごくの
おさけをのんだように
かっと
のどのおくで
はながさく。


もえるような
ももいろのそのはなは


なつのひかりといっしょになって
わたしののどのおくを
にぎわす。


八月。
白いひかりの世界。

たことなすとおくら。

たことなすとおくら。

そのむらさきとくろずんだあかいろのなかに

とびだすあおいおくら。


むかし祖母が
たこめ たこめ こら たこめ
といいながら
たこをたたいていた。


作った事もない
たこの煮物を
歌をたよりに


すりこぎのなかで
たたく。


食べた
たことなすとおくらの煮物は
すこし
不慣れな味がしたけど、


たたいたたこの
食感は
あの時食べた
それ 
だった。


夏というものは
どうしてだか、
なつかしいものを
よびもどしたくなる
そんな
勢いのある
季節なんだなぁ。

短冊

あちこちで
短冊がゆれている


家の中でも
扇風機にゆられ
かさこそかさこさ
いろとりどりに。


七夕祭りに出かける
年頃のこどもたちは


まるで
ひまわりのように
振り返ることもなく
ぐんぐんと
おおきくなる。



まぶしくせつないほどに。



短冊が飾られたアーケードをくぐり抜ける
年頃のこどもたち。

たくさんの夢をみる。


淀むことのない小川のような心で。



夏がやってきた。


七月。
夕焼けの匂いのする季節。

かぜ

 

かぜがおしえてくれた

いま

グランドにいることを。


かぜがひとふき

すこしのびすぎのしょうねんのあたまのような


シバフを、


すこしおとなびたおないどしのおんなのこが


とおりりがかりに

じゃりっと

しょうねんのあたまをなでるように


ひとふき


やっていった。


はっと

あいてたはずのめがひらいて



わたしと時が
ようやくであう。



いつでも
とりかこむものは
すこしおとなびて
みえる。

あめのおとととけいのおと。


時計の音が聞こえてきました。


静かになって
台所もちゃんとかたづいて
お風呂にもはいって
髪がぬれているころ
時計の音がやってくる。


雨の音がするあいだ
時計の音はこないけど
なぜだか
誘いのノックのようで
外の匂いをかぎにいく。


雨の音のするあいだ
家はぐっと地面に根付き
私は知らない間に眠ってしまう。


あじさいの花が
青みをおびてゆくたびに
はっと立ち止まり


雨の音が流れだす。


六月。

土のにおいの
する季節。

五月。

うっそうとしげっています。
我が家の庭。
冬の間は茶色の印象の庭だったはずが、
すごい勢いであまりに茂るもので、

どれか一つでもジャックの豆の木みたいに
天に伸びて、、、
までおもうのですが、

高所恐怖症は天にはあまり興味がないようで、
やはりそろそろ草引きしようとおもうのです。



センダンの花の季節です。
うすもやがかっているようで
もこもこ遠目にほんとうにきれい。



落ち葉の音が、カラコロカラコロ、愉快な音に変わりました。

女の子がレディーに、赤ちゃんが微笑むようになりました。

初めて出会う人に水色と金色のお皿でアイスをいただき、

生まれて初めてのような気分で

両親に出逢い、友人との時間をたのしむ。

ご飯のあとのゆっくりタイムは

3月でも五月でも一緒。



だけど五月で違うのは、
緑のモコモコとおなじように
生まれ始めた今が
ようやく自分の実になってゆく気配を
泡のような感覚で
感じること。


すこし気負いもあり、
でもワクワクもする。


五月。


美しい季節。